日清戦争で戦場となった地域
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日清戦争
The Sino-Japanese War of 1894-95 from Kaizen Aspect

日清戦争の本・資料 − 閔妃殺害事件

角田房子 『閔妃暗殺』
崔文衡 『閔妃は誰に殺されたのか』
秦郁彦 「閔妃殺害事件の再考察」
金文子 『朝鮮王妃殺害と日本人』
杉村濬 『明治廿七八年 在韓苦心録』

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(日清戦争写真帳より)
 
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本ウェブサイトの、最後のページとなります。

日清戦後に発生し、朝鮮での反日感情を一挙に昂進させ、また日本の朝鮮への影響力を喪失させることに、決定的に貢献してしまった、閔妃殺害事件についての著作・資料を挙げます。


角田房子 『閔妃暗殺−朝鮮王朝末期の国母』
新潮社 1988 (新潮文庫 1993)

角田房子 閔妃暗殺 表紙写真

李氏朝鮮の建国から記述が始まり、高宗即位と大院君の登場から記述が詳細になります。文庫本約450ページの分量ですが、王妃暗殺計画に至る前までで約330ページが使われています。

すなわち、本書の最大の特色は、他の研究書ではあまり詳しくない、閔妃対大院君の激しい対立の具体的な状況が、非常に詳しく、かつ大変に読みやすく、書かれていることです。日本では出版されていない韓国の研究書を多数利用していることによるようです。

閔妃殺害についての、計画から具体的な実行の状況についても、他書より記述は詳細です。

本書は、閔妃殺害事件についての基本的な事実関係を理解するのに、きわめて読みやすく分かりやすい本であるといえます。

結論として、角田房子は、実質的に三浦公使単独首謀説をとっています。

なお、本書の巻末に参考文献の一覧はついていますが、本文への注記はありません。本文の記述にある個々の事実や見解について、典拠となる資料や文献が明示されている箇所は少ないので、その点では制約があります。研究書ではなく「読みもの」として、読みやすさの追求を徹底されたためであろうと思いますが、その点だけは残念です。

本書は、本ウェブサイト中、下記のページで引用等を行っています。


崔文衡(金成浩・齊藤勇夫 訳)
『閔妃は誰に殺されたのか−見えざる日露戦争の序曲』
彩流社 2001

崔文衡 閔妃は誰に殺されたのか 表紙写真

本書は、「日本が閔王后を殺害せざるを得なかった歴史的背景を国際関係から把握することを目指した」ものです。

本書はまさしく研究書であり、その特色は、韓国内の資料のほか、特に「当時の駐韓外交使節が自国に送った事件報告書など、欧米の資料」を非常に活用している点にあります。

日本の研究書には取り上げられていない資料もあり、当時の朝日露3カ国の見方について非常に参考になります。

本書が「露館播遷」期の朝鮮および日露関係も扱っている点も、非常に価値が高い部分だと思われます。

肝心の閔妃殺害事件そのものに関しては、井上馨首謀説を取っていますが、その根拠はきわめて不十分という印象で、論証が成功しているようには思われません。

本書は、本ウェブサイト中、下記のページで引用等を行っています。


秦郁彦 「閔妃殺害事件の再考察」
(日本大学法学部 『政経研究』 第43巻2号 2006に所収)

閔妃殺害事件について、「事件の首謀者は誰だったのか、閔妃殺害の場所はどこで、下手人は誰だったのかという二点を焦点に据え事件全体の構造に迫りたい」という目的の論文です。

冒頭で、この事件に関する基本的史料や当事者の手記などが整理されていること、後半では、事件容疑者等関係者について、氏名・出身地・職名と事件後の職名などの一覧表に整理されていることなどは、本論文がたいへん役に立つ点です。

結論として、事件主謀者については、「どうやら事件の首謀者ないし主犯は三浦梧楼、それも彼の単独犯行という線におちつきそうである」としています。筆者としては、妥当な推定であるように思います。

閔妃殺害事件については、本論文は必読文献であると思います。ただ、この論文が掲載されている雑誌は、一般の図書館には置かれていないため、コピーを入手するのに少し手間がかかりました。価値のある論文なので、もっと入手しやすい形に再刊されるとよいのですが。

本論文は、本ウェブサイト中、「戦中戦後の朝鮮−三国干渉後」のページで、引用等を行っています。


金文子『朝鮮王妃殺害と日本人−誰が仕組んで、誰が実行したのか』
高文研
2009

金文子 朝鮮王妃殺害と日本人 表紙写真

本書も、崔文衡の上掲書と同様、「読み物」ではなく研究書です。事件に至るまでの経緯や、事件そのものを、詳細を記述することには紙数が使われていませんので、先に角田房子の上掲書を読んでおかないと、本書は理解しにくいかもしれません。

記述は、「閔妃の写真」とされてきたものが、どういう写真であったのか、から始まっています。

本書は、三浦梧楼と川上操六の間の電信を掘り起こしていること、新納時亮海軍少佐・楠瀬幸彦陸軍中佐・内田定槌領事・安達謙蔵と熊本国権党・法務顧問星亨・写真師村上天真らの事件関係者についてもスポットライトを当てていること、などに特色があります。

内田が作成した、王妃暗殺団の宮廷内の進入経路の地図の写真版も収録されていて、これだけでも価値があるように思います。

本題である事件の首謀者については、本書は、大本営黒幕説です。しかし、「電信線を守備している後備兵を現役兵と交代させる」程度の目的で閔妃殺害が行われた、というのは、説得力が大きく不足しているように感じます。本当に大本営が絡んでいたなら、殺害の計画・実施が、これほどまでに杜撰ではなかったのではないか、という気もします。

また、本題に関しては、「推定」記述であるべきところを「断定」記述してしまっているように思われる個所がところどころにあります。センセーショナルな内容にするよう、出版社からの圧力に負けてしまったのでは、と邪推したくなります。

全体としては、研究書として読む価値が高いと思いますので、本題に関わる点が、ちょっと残念な気がします。

本書は、本ウェブサイト中、下記のページで引用等を行っています。


杉村濬 『明治廿七八年 在韓苦心録』
1904(明治37)
(『日韓外交史料10』 <明治百年叢書> 原書房 1981に所収)

閔妃殺害事件の重要な関係者の一人、在京城日本公使館の一等書記官であった杉村濬が、事件の10年後に書いた回想録です。すなわち研究書ではなく資料です。本書も、国立国会図書館デジタルコレクションで読むことが出来ます。

杉村は、1880(明治13)年の最初の渡韓から、95(明治28)年の閔妃殺害事件後に帰国させられるまでの約15年間のうち、9年程を韓国(釜山・仁川・京城)に在勤していますが、特に日清戦争期の明治27・28年に限って、この回想録を書いたという位置づけです。

閔妃殺害事件に対する杉村の説明は、あくまで大院君入闕による親露派追放・親日派政権樹立が目的であり、その目的に対し三浦公使と杉村・岡本で協議し実行したものであって、閔妃殺害は日本人壮士輩を入れた結果で生じた派生的な事件であった、としています。杉村自身が現にそう信じていて、閔妃殺害が計画されているとは全く知らなかった可能性もあるのかもしれません。反省の弁として、「当時の事情は誠に止むを得ずに出でたりといえども、今日に至りては聊か遺憾なき能わず」と言っています。

本書には、「外篇」として、「広島予審終結決定書」も収録されています。この「決定書」では、日本人壮士たちが兇器を持って王城内に入り後宮にまで到ったところまでを事実として認定しているのに、なぜかそれから先の追及をやめてしまい、肝心の殺害については被告人中の誰が殺害を実行したのか「証拠が十分ならず」という理由で、全員を「免訴」と結論している、まことに面妖な文書です。これが本書で読めます。

本書は、本ウェブサイト中、「戦中戦後の朝鮮−閔妃殺害事件」のページで、引用等を行っています。



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