1 帝国主義の時代

 

日清戦争が起こった19世紀末の世界は、帝国主義の時代

日清戦争が起こった19世紀末、世界は帝国主義の時代の真っただ中にありました。「列強」と呼ばれた欧米の強国が、主にはアジアやアフリカに所在する弱国や後進地域を、保護国化あるいは直轄支配して、植民地とするのが当たり前だった時代です。

現代では、「弱国や後進地域を、保護国化あるいは直轄支配して、植民地とする」という帝国主義的な行動は、国際的に許されざる悪であることが世界の共通認識となっていますが、19世紀末の当時、強国による植民地保有は当然のことと認識されていて、その時代背景の中で、日清戦争が起こりました。日清戦争自体、結果として台湾という植民地を得たのですから、帝国主義戦争の一つであったと言わざるを得ません。

そこで、日清戦争を理解するためには、まずは、その当時、列強による「植民地化」は、世界中、とくにアジアではどの程度進んでいたのか、また、実際に列強が独立国を保護国化・植民地化するのに、どのような手が使われたのか、ということを理解しておくのが適切であると思われます。

ここでは、以下の4点について確認をしていきます。

 

1a 世界の植民地化の進展とアジアの状況

19世紀後半から20世紀初頭にかけて、列強がどれだけ植民地化を進めていたのか、当時のデータを確認します。とりわけアジアについては、日本の明治維新当時(1868年)、そして日清戦争発生の当時(1894年)、それぞれどれだけ植民地化が進展していたかを具体的に確認します。

 

1b アヘン戦争とアロー戦争

19世紀の中国、すなわち清国は、植民地化はされていなかったとはいえ、この時期に列強から戦争を仕掛けらたことが3度ありました。1839~42年のアヘン戦争、1856~60年のアロー戦争(第2次アヘン戦争)、そして1884~85年の清仏戦争の3度です。1894~95年の日清戦争を加えれば、清国は、1839~95年の約60年弱の間に、4度も戦争をしかけられたことになります。

ここでは、イギリスが中国に仕掛けたアヘン戦争とアロー戦争について、どういう戦争であったのか、どのような結果となったのか、という点を確認したいと思います。

 

1c フランスによるベトナムの植民地化

フランスが1850年代以降におこなった、すなわち日本がちょうど開国から日清戦争まで進んでいった時期に行われた、ベトナムの植民地化についてです。その時期に日本は、江戸幕府を倒した元攘夷派が、政権掌握後は積極的に開国・文明開化を主導していきましたが、ベトナムは、帝国主義の時代に攘夷にこだわったことで、かえって植民地化された、という歴史をもっています。このベトナムの植民地化の過程で、フランスと中国との清仏戦争も生起しました。

 

1d イギリスによるエジプトの保護国化

全くパターンの異なるケースとして、近代化政策の行きすぎから財政困難になり、イギリスによって保護国化されたエジプトの事例を確認したいと思います。

日本の近代化と同時期に、同様の立場の国に起こったこのエジプトのケースから、明治政府は、独立を守るためには、近代化政策の実施は自己資金に見合った範囲に制限する必要があることを学んだ一方、日清戦争期には、対朝鮮政策で、イギリスがエジプトを保護国化した手法を参考にしようとしました。

 

 

まずは、19世紀後半から20世紀初頭にかけての世界の植民地化の進展度と、アジアの状況を確認したいと思います。