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日清戦争の前後の時期に、日清朝3国に旅行した、あるいは満州に居住した西洋人が書き残した記録についてです。
イザベラ・バード (時岡敬子 訳)
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本書の原著は、Isabella Bird Bishop, Korea and Her Neighbours - A Narrative of Travel, with an Account of the Vicissitudes and Position of the Country 1898です。原著は、海外の図書館によって、インターネット上で公開されています。 イギリス人で、世界各地を旅行した著者は、早くも1878(明治11)年には日本に来て旅行記を書いています。 そして、1894〜97年という日清戦争の前後の時期に、朝鮮を4度訪れ、朝鮮国内でまだ外国人があまり立ち入ったことがなかった地域へも旅行しています。その時の旅行記が本書です。 著者は、実際に見聞したことについて、大変に的確な観察眼を持っていた女性であると思います。それだけでなく、政治・経済などについても、イギリスをはじめとする欧米外交官や、その土地で暮らしている欧米人などから聴取して、かなり正確な状況理解をしていたようです。 |
当時の朝鮮の状況の具体的なイメージをつかむのには、本書がなにより優れていると思います。また旅行中、仁川では朝鮮に出兵してきた日本兵を、そこから一時退避して出かけた満州では朝鮮に出征する清国兵を目撃しています。また、当時の日本の対朝鮮政策に対するコメントも含まれています。
そうした点から、日清戦争の研究者にとっても必読書の1冊であるように思います。
本書からは、本ウェブサイト中の下記のページで、引用等を行っています。
原著は、 Thirty Years in Moukden 1883 - 1913, Being the Experiences and Recollections of Dugald Christie, C. M. G., edited by his Wife, 1914です。これも、原著は、海外の図書館によって、インターネット上で公開されています。
矢内原忠雄の邦訳は、岩波新書の赤版第1号です。現在は新本では出ていませんが、古書が簡単に手に入ります。
キリスト教の伝道医師として1883年に満州・奉天に来たスコットランド人、デュガルド・クリスティによる奉天での生活の記録です。クリスティは、日清戦争前の奉天では、平壌の戦いで戦死した左宝貴将軍と親交がありました。また開戦後、日本軍が満州に軍を進めると、クリスティは営口に避難しましたが、そこを日本軍が占領したため、日本による占領地行政も経験しました。これに関する記述は、上巻にあります。
本書からは、本ウェブサイト中、「日清戦争の経過−中盤戦D 遼河平原制圧」のページで、引用等を行っています。
なお、F. A. マッケンジー (渡部学 訳注) 『朝鮮の悲劇』 平凡社東洋文庫 1972(原著は、Frederick Arthur McKenzie, The Tragedy of Korea 1908)も、日清戦争期の朝鮮についての記述を含んでいます。しかし、ジャーナリストであったマッケンジーが実際に朝鮮に来たのは1904年以降であり、日清戦争期についての記述は、著者自身の直接の見聞に基づくものではありません。しかも日清戦争期についてマッケンジーが使っている資料は、事実をどこまで的確に伝えているかについて、疑問が湧くものも混じっています。すなわち、著者自身が見聞している日露戦争期については確かに資料の一つと言えますが、日清戦争期については、資料としてはあまり使えないように思われます。
次は、日清戦争後に起こった閔妃殺害事件に関する参考図書・資料について、です。