日清戦争で戦場となった地域
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戦場となった地域
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日清戦争
The Sino-Japanese War of 1894-95 from Kaizen Aspect

日清戦争の本・資料 − 谷・三浦・福沢

小林和幸 『谷干城』
三浦梧楼 『観樹将軍回顧録』
平山洋 『福沢諭吉の真実』・
『アジア独立論者 福沢諭吉』

上 日本陸軍の旅順西方砲撃 下 日本海軍の速射砲砲撃
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旅順西方砲撃
下 日本海軍の速射砲砲撃
(日清戦争写真帳より)
 
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谷干城・三浦梧楼も、福沢諭吉も、体制内ながら藩閥政府からは一定の距離を保っていて、独自の政治経済論を主張していました。すなわち明治政府が実際に採用した近代化のコースとは別の近代化論をもつ人々であったように思われます。その参考図書です。

このウェブ・サイトでは、谷干城と三浦梧郎については戦争前の日本の状況、および戦後の朝鮮での閔妃殺害事件の中で、また、福沢諭吉については戦争前の朝鮮の状況に関連して取り上げています。


小林和幸 『谷干城−憂国の明治人』
中公新書 2011

小林和幸 谷干城 表紙写真

谷干城は、対外硬運動の中で「日本グループ」を率いた人物でした。

ただし、「対外硬運動」は、上掲の酒井著書が明らかにしているとおり、政府反対派が幅広く参加した運動であったため、対外硬運動家が皆対外積極論者であったわけではありませんでした。

著者は谷干城についての研究者であり、その著者が書いた谷干城の伝記です。

谷干城は、当時、欧州を知り、「近代」の何たるかを適切に理解した、数少ない日本人の一人であり、それゆえに「対外武力進出に頼らない日本の近代化」、という近代化のもう一つの道を追求しようとした人物であったように思います。

谷干城という人について、あるいは、谷干城を通して、明治期の日本の発展の可能性は多様であったことが、もっと研究されても良いのではないか、という気が致します。

本書は、本ウェブサイト中、「帝国主義の時代−イギリスによるエジプトの保護国化」、および「戦争前の日清韓3国の状況−日本の状況B 谷干城の意見」のページで、引用等を行っています。


三浦梧楼 『観樹将軍回顧録』
政教社編・発行 1925、中公文庫版 1988

谷干城と同じく、陸軍の反主流派将軍の一人であり、後に閔妃殺害事件をおこした三浦梧楼の回顧録です。

エライ人の回顧録によくあるパターンの一つですが、全体に自慢話の羅列、という印象は免れません。しかし、かなり合理的な思考をする人であったことは、よく分かります。長州出身ながら「薩長の情実の打破」では生涯一貫していて、それが陸軍の反主流派となった原因でした。木戸派で、反山県という点も一貫していましたが、必要とあれば山県ともそこそこに話合いをする人であったようです。

閔妃殺害事件について、意味のある告白は何もしていません。全体として、「彼自身の政治的、思想的な立場となると、今一つよく判らない」(佐伯彰一による中公文庫版の「解説」)というのは、まことに妥当なコメントであると思います。

この回顧録の中で最重要の個所の一つは、三浦梧楼が日清戦争の5年前、1889(明治22)年に有志に頒布した『兵備論』が収録されていることです。この『兵備論』は、当時の日本の財政力に見あった、防衛優先の「経済的軍備論」を具体的に展開したものであり、陸軍が実際に行った軍拡路線とは異なる軍備モデル論が、当時の日本に現に存在していたことを示しています。ただしこの回顧録の中公文庫版では、『兵備論』は、何の断り書きもなく、割愛されてしまっています。

中公文庫版ではさらに、閔妃殺害事件後に、明治天皇が三浦梧楼について「遣る時には遣るナ」と言ったことも、同様に何の断り書きもなしで割愛されています(この点は金文子 『朝鮮王妃殺害と日本人』に指摘あり)。中公文庫は、本書については、重要箇所2点を何の説明もなく割愛しており、出版社の倫理にもとる編集を行った、といわざるをえないように思います。

なお、『観樹将軍回顧録』の原著である政教社版は、国立国会図書館デジタルコレクションで公開されていますので、全体は現代語表記の中公文庫版で読んでおき、『兵備論』と「朝鮮事件」だけを、原著で読む、というやり方が便利かもしれません。

本書は、本ウェブサイト中、下記のページで引用等を行っています。


平山洋 『福沢諭吉の真実』
文春新書 2004
平山洋 『アジア独立論者 福沢諭吉: 脱亜論・朝鮮滅亡論・尊王論をめぐって
ミネルヴァ書房 2012

対外硬運動に関連しては、当時の言論の雄の一人であった福沢諭吉の考え方を見ておくことも、当時の状況の理解に役立つと思います。

ところで、福沢諭吉の清国・朝鮮に対する考え方が、具体的にどのようなものであったのかについて、従来の学説は、福沢が発行していた『時事新報』の無署名論説は、すべて福沢自身のものであるとの見方でした(典型的には、安川寿之助 『福沢諭吉のアジア認識 − 日本近代史像をとらえ返す』 高文研 2000)。

それに対し、日清戦争期には福沢はすでに『時事新報』の編集から離れ、口出しをしておらず、本来の福沢の見解と『時事新報』の論説にはズレが生じていたことを論証したのが平山洋の『福沢諭吉の真実』であり、さらに、福沢自身の思想であることが明確な著作論説に基づいて、福沢のアジア論を具体的に詳論したのが、『アジア独立論者 福沢諭吉』です。『アジア独立論者 福沢諭吉』の方は、壬申事変への福沢の関与がどこまであったのかについても、論証しています。

安川・平山論争を見てみると、資料の読み方について安川の主張には無理があり、平山の読み方の方がはるかに説得力があるように感じられます。

なお、安川の『福沢諭吉のアジア認識』は、『時事新報』論説の資料として、当時の対外拡張論者の(福沢とは異なる)主張への論評として読むのであれば、今も多少の価値はあると言えるかもしれません。

上記2書のうち、『アジア独立論者 福沢諭吉』は、本ウェブサイト中、「戦争前の日清韓3国の状況−朝鮮の状況A 開国から甲申事変まで」のページで引用等を行っています。


次は、産業革命期に突入していた当時の日本経済の状況についての参考図書です。


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