日清戦争はなぜ開戦されることになったのか、という日清開戦史研究に絞った研究書・資料について、です。
壬午軍乱から日清開戦までの日本の対朝鮮政策と財政政策を検証することによって、日清戦争の開戦がいかに決定されたかを再検討した研究書です。
壬午事変後、日本は朝鮮への介入を強めるが、甲申事変の敗北により後退、しかし朝鮮支配をめざす基本路線は変わらず、以後、対清戦のための軍備拡張を進め、好機をとらえての日清開戦にいたった、というのが従来の通説でした。
それに対し、実際の外交・財政政策を検証することで、当時の政府は健全財政原則を維持しており、軍拡はその範囲内で行われていたこと、外交的にも伊藤・井上らの対清協調論が行われてきたこと、日清戦争直前の状況では、陸軍と陸奥外相は対清対決方針を持っていたが、公的方針は伊藤首相の対清避戦方針であり、当初政府は対清開戦を考えてはいなかったこと、結局陸奥外相の謀略的と言うべき個人外交により開戦にいたったこと、が論証されています。
本書は、従来の通説を大幅に修正するものとなりました。非常に価値が高く、必読の研究書の1冊であると思います。
本書は、本ウェブサイト中、下記のページで引用等を行っています。
上掲の高橋秀直 『日清戦争への道』を批判する書です。基本的に壬午軍乱から開戦までという、全く同じ時期を検証して、全く異なる結論に達しています。日清戦争前、日本政府が対清開戦策を取るか対清避戦策をとるかは、列強の干渉がどこまで強そうかの可能性の判断に影響されていた、という結論となっています。
この著者の論証に従えば、井上馨という人は、本質的には強硬論者であるが、他の強硬論者たちとは異なり、簡単に強硬論をやめて平和論に変えたり、強硬論にまた戻ったりと、短期間のうちに頻繁に意見を変えた人である、その理由はその時々の列強からの外圧の状況への判断のみである、ということになってしまいます。
著者の議論・論証は、日本政府の外交・軍事面での動きに集中していて、その背後にあったはずの財政・経済の動きは捨象されています。また、史料の裏付けが不十分なのに断定的な記述が行われていたり、あるいは、別の解釈も充分にありうる史料について一つの解釈だけを適用していて、論証不足と感じられる部分が少なくありません。高橋説への反論として、成功しているようには思われません。
ただし、著者の論証の中で、根拠となる史料が適切に提示されている論証については、十分に考慮すべきものであり、高橋説の中で修正が必要な点もあるかもしれません。
本書には、本ウェブサイト中、「戦争前の日清朝3国の状況−朝鮮の状況A 開国から甲申事変まで」のページで言及しています。
次は、日清戦争に関する、社会史ほかその他の分野についての参考図書です。
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