このページは、秀吉の朝鮮侵攻についての参考図書のうち、義兵運動、鼻斬りなど、個別の問題に焦点をあてた論文集や、外交交渉上で多大な努力を行った小西行長についてなど、朝鮮侵攻に関する各論を扱ったものについて、です。
秀吉が京都方広寺に耳塚を造って400年、というタイミングで開催されたシンポジウムに提出された5本の論文と、そのシンポジウムの記録などをまとめたものです。
収録されている論文は、下記の通りです。
- 貫井正之 「豊臣政権の朝鮮侵略と朝鮮義兵闘争」
- 朴容徹 「壬辰戦争における朝鮮側の対応」
- 琴秉洞 「秀吉の耳塚築造の意図とその思想的系譜」
- 仲尾宏 「朝鮮通信使と『耳塚』」
- 楠戸義昭 「略奪していった人、物と朝鮮文化について」
シンポジウムそのものの政治性を気にされる方があるかもしれませんが、論文としては、そのほとんどがきわめて学究的であり、読む価値があると思います。
特に、貫井論文では、日本側の侵攻に、朝鮮の義兵運動がどう戦ったのか、その成功例も失敗例も具体的に明らかにされています。
朴論文では、秀吉の侵攻の情報を事前に聞いても対策を打たず逃げるだけだった朝鮮宮廷の反応と、具体的に対策を行って反撃に成功した、水軍の李舜臣・義兵の郭再祐とが詳述されています。
仲尾論文では、鼻斬りの起源・原因のほか、江戸期から明治期に至るまでの秀吉の朝鮮侵攻に対する日本国内での評価が述べられています。
本書は、本ウェブサイト中、「戦争前の日清朝3国の状況−朝鮮の状況@ 秀吉の朝鮮侵攻」のページで、引用等を行っています。
秀吉の朝鮮侵攻の中で、小西行長が果たした役割は、侵攻を進めていった時、講和交渉の時、再侵攻の時、朝鮮侵攻全体のどの段階でも、きわめて大きかったようです。その意味から、小西行長についての理解なしに朝鮮侵攻の理解なし、と言ってよいのかもしれません。
ところで、小西行長については、最近発掘された史料も多いようで、最新の研究を見ておく価値があります。上記の2書は、そうしたものの中で代表的なものであるようです。
小西行長について、生涯の全体をてっとり早く理解するには、『記録集 小西行長を見直す』が非常に参考になります。これは、宇土市が2009年に開催したシンポジウムの記録であり、その際の討論会や講演会の記録に加え、関連する写真資料などが収録されています。討論会・講演会のメンバーは小西行長の研究者ですので、この時点での小西行長研究の最新状況がわかる本、といえるように思います。
『小西行長−抹殺されたキリシタン大名』の方は、「史料で読む戦国史」と題されたシリーズの1冊で、「資料の内容を読み解いて、小西行長の生涯を描き、実像を解明する」(同書「はじめに」)ことが目的の書であり、「小西行長発給文書集成」などの史料集も付されています。
この2書とも、本ウェブサイト中、「戦争前の日清朝3国の状況−朝鮮の状況@ 秀吉の朝鮮侵攻」のページで、引用等を行っています。
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秀吉の項目に挙げるのは適切ではないかもしれませんが、本文中では朝鮮侵攻の項で引用していますので、ここに入れておきます。
著者は、元は建設省でダム・河川事業に携わってきた技官出身のお役人なのですが、その専門性を活かし、地形やインフラの視点から歴史を見る、というユニークな歴史論が展開されています。
本文中で取り上げたのは、本書の第1章「関ヶ原勝利後、なぜ家康はすぐ江戸に戻ったか」の内容であり、説得力が高いように思います。
本書の他の章にも、著者の推定に全面的に賛成できるかどうかは別にして、地理・地形からすればそうであったかもしれない、と思える指摘が並んでいて、なかなか面白い本です。
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本書からも、本ウェブサイト中、「戦争前の日清朝3国の状況−朝鮮の状況@ 秀吉の朝鮮侵攻」のページで、引用等を行っています。
次は、日清戦争の社会的影響など、個別の分野に関する研究書や資料について、です。
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