8l 帝国主義とアジア
日清戦争の時代は、世界史的には帝国主義の時代でした。このページでは、帝国主義の状況に関するもの、とりわけ清国を中心とする東アジアの状況に関するものを挙げています。朝鮮に関するものは、別ページとしています。
このページの内容
19世紀後半の帝国主義と植民地化の状況
アヘン戦争とアロー戦争 ー 東アジアへの帝国主義の到来
李鴻章と清国の外交政策
19世紀後半の帝国主義と植民地化の状況
レーニン 『帝国主義論』
初版 1917 (大月書店国民文庫 改訳版 1961)
余りにも有名な(少なくとも書名については)著作です。出版されたのは1917年、すなわち第一次世界大戦中であり、日清戦争から20年以上経過した時点です。その時点に至るまでの、列強の経済成長・軍備拡張・植民地化の拡大の状況を前提に、帝国主義が論じられています。
このウェブ・サイトでは、単に、本書中に引用されている資料を使って、当時の植民地化の進行状況を確認するという目的のためだけに、活用しました。「1 帝国主義の時代 - 1a 帝国主義とアジア」のページで使っています。
松本信広 『ベトナム民族小史』
岩波新書 1969
ベトナム戦争では、1973年に米軍がベトナムから撤退し、また1975年にサイゴンが陥落し、さらに翌年には南北ベトナムが統一されて完全終結します。
本書は、そのベトナム戦争終結前に出版された本ですので、現代史については役立ちません。しかし、19世紀後半に、ベトナムがフランスに植民地化されていく過程については、内容に問題はなかろうと考えて、本書を活用しました。今は、もっと良い本があるのかもしれません。
本書は、本ウェブサイト中、「1 帝国主義の時代 - 1c 仏のベトナム植民地化」のページで、引用等を行っています。
山口直彦 『新版 エジプト近現代史-ムハンマド・アリー朝成立からムバーラク政権崩壊まで』
明石書店 初版 2006、新版 2011
エジプトについては、本書を参考にしました。本ウェブサイトの「1 帝国主義の時代 - 1d 英のエジプト保護国化」のページで、引用等を行っています。
エジプト近代史の出発点は、エジプトがオスマン帝国からほぼ実質的に独立した王朝となるとことから始まるようです。それに続いて、西欧との距離も近く影響も受けやすいエジプトは、日本より半世紀も早い時点で、近代化への取り組みを始めます。ところが、スエズ運河の建設から財政破綻して、イギリスの実質的保護国となっていきます。
このエジプト保護国化の過程は、現代の日本人はあまり知識を持っていない事項ですが、同時代人であった明治政府の指導者たちには、よく理解されていたようです。「6 朝鮮改革と挫折 - 6b 井上馨による朝鮮内政改革」のページで確認しました通り、井上馨は、朝鮮公使として赴任するにあたって、このイギリスによるエジプトの保護国化の手法を参考にしようとしました。
(2010~20年代、習近平の中国が「一帯一路政策」で一部の国の港湾等の重要資産の利権を獲得したのも、同様に19世紀後半のイギリスのエジプト保護国化の手法を適用している、と言えるように思われます。)
19世紀後半の日本の指導者たちは、日本が列強によって植民地化あるいは半植民地化されるリスクを、実感していたものと思われます。彼らがそれを、単に理論的なリスクではなく現実的なリスクとして感じていた原因は、エジプトやベトナムという実例が、同時代に現に存在していたためでしょう。
エジプトやベトナムは、こうした観点から、もっと研究されてよいように思います。
アヘン戦争とアロー戦争 ー 東アジアへの帝国主義の到来
陳舜臣 『実録アヘン戦争』 中公新書 1971
乾隆帝までの清朝の黄金時代から説き起こし、その後の清朝社会の変化とアヘン密輸量の増大、広州での対外貿易システム、清朝内でのアヘン禁止方策論争と林則徐の欽差大臣への任命、林則徐によるアヘンの没収と処分、英清の戦争の開始、林則徐罷免後の英清間交渉など、アヘン戦争に至るまでとアヘン戦争自体の経緯が、非常に読みやすく記述されています。
特に中国側の資料が活用されていて、清朝内部の論争など、中国側の動きは詳細です。他方、おそらくは新書の紙数の制約からでしょうか、英清間の戦闘の過程については、あまり詳しくない、という印象です。
アヘン戦争を理解するのに最適の1冊であることは、間違いありません。
本書は、本ウェブサイト中、「1 帝国主義の時代 - 1b アヘン戦争とアロー戦争」のページで引用等を行いました。
矢野仁一 『アヘン戦争と香港 -支那外交史とイギリス その1』
初版 弘文堂書房 1939 (中公文庫版 1990)
1939(昭和14)年初刊の古い本ですが、本書は、「イギリスの対支貿易の起源」から説き起こし、アヘン戦争の展開、そしてアヘン戦争後の「南京条約の結果及び効果」までを、全22章にわたって、詳しく記述しています。
ただし、著者は極めつけの悪文家であり、読むのに非常に骨が折れます。一つの文章がやたらと長く、かつ英語風にいえば、その長い一文中に関係代名詞が二重・三重に使われていて、どれが全体の主語で、最終的な述語は何かが、一読した程度ではさっぱりわからない、という特徴があります。
また、著作された時代を反映して、正邪論によるイギリス批判を繰り返し何度も行っている点も、本書の特徴です。
しかし、アヘン戦争そのものについての詳しさとページ数では、おそらく本書が一番であろうと思われます。
本書も、本ウェブサイト中、「1 帝国主義の時代 - 1b アヘン戦争とアロー戦争」のページで引用等を行いました。
矢野仁一 『アロー戦争と圓明園 - 支那外交史とイギリス その2』
初版 弘文堂書房 1939 (中公文庫版 1990)
本書も、やはり1939(昭和14)年初刊で、上掲の 『アヘン戦争と香港』 の後を受けて、「南京条約後、支那諸開港場における紛擾」から始まり、アロー戦争の展開、そしてアロー戦後の「インド西北隅坎巨提(カンジュート)をめぐる支那イギリス交渉」までを、全23章にわたって詳しく記述しています。
もちろん、著者の悪文は、上掲書と何等変わるところはなく、本書も読むのも非常に骨が折れます。また、正邪論によるイギリス批判の繰り返しも、変わりません。
しかし、アロー戦争そのものについては、詳述している本を筆者は他に知らず、本書を頼りにせざるを得ませんでした。
本書も、本ウェブサイト中、「1 帝国主義の時代 - 1b アヘン戦争とアロー戦争」のページで引用等を行いました。
李鴻章と清国の外交政策
岡本隆司 『李鴻章-東アジアの近代』
岩波新書 2011
李鴻章について、「その生涯を19世紀・清朝末期という動乱の時代とともに描き出す比類なき評伝」というのが、出版社がカバーの帯に書きこんでいる、本書の紹介文です。
李鴻章(1823~1901年)は、日本が清国と、日清修好条規を締結するために外交交渉を開始した1870年には、すでに北洋大臣の地位にあり、日本の使節団との面談も行っています。もちろん、日清講和においても、全権として下関に来て、伊藤・陸奥との講和談判を行いました。
すなわち、李鴻章は、日本が近代国家となって、清国との外交関係を樹立する時点から、1901年に亡くなるまでの期間のほとんどにわたり、清国を代表して日本との外交交渉を行う立場にあったわけです。李鴻章を知ることは、この時期の清国の対日政策を知ることと同義であるようです。
本書は、本ウェブサイト中の以下のページで、引用等を行いました。
岡本隆司 『世界の中の日清韓関係史-交隣と属国、自主と独立』
講談社選書メチエ 2008
上掲書と同じ著者による、日清韓三国の関係史についての著作です。「16世紀の東アジア情勢から説き起こし、江戸時代の「日朝交隣関係」と「清韓宗属関係」の併存、近代の日清韓の利害対立、国際関係の行方を追う力作」というのが、カバーの帯にある説明です。
本書は、通常華夷秩序と呼ばれる、中華と周辺国との宗藩関係とはいかなる関係なのか、から始まっています。とりわけ日本や列強からの近代的外交関係の要求に対し、朝鮮と清国はどう対応しようとしたのか、が中心的な部分です。
一般向けの大変わかりやすい記述になっています。この時代の日清韓三国の外交関係を理解するための、基本図書の1冊であると思います。
本書は、本ウェブサイト中の以下のページで、引用等を行いました。
次は、朝鮮の、開港から日清戦争期までの政治の動きを中心とした近代史の参考図書・資料について、です。