8a 時代背景がわかる小説・記録

 

日清戦争の時代背景をてっとり早く理解できる読み物には、この時代に執筆された小説や著作物、および、この時代を舞台または対象として描かれた小説や著作物が挙げられます。小説以外の当時の著作物というと、新聞記事や回想記、風刺漫画などがあります。
そうしたものの中で、筆者が読んだものを挙げておきます。もちろん、このジャンルに属するものは、他にもっといろいろあるだろうと思います。

 

① 日清戦争期に書かれた同時代小説

日清戦争の前後の時代に、その当時を舞台として描かれた小説は、まさしく同時代作品であり、時代背景を理解するのに役立ちます。そうしたものには、下記があります。

● 徳冨蘆花 『不如帰』
● 樋口一葉 『たけくらべ』など

徳冨蘆花 『不如帰』 岩波文庫
初出 1898(明治31)~99(明治32)年

徳冨蘆花 『不如帰』 岩波文庫 カバー写真

題名の 『不如帰』 は「ほととぎす」と読みます。日清戦争の講和から3年後に発表された小説であり、小説自体も、日清戦争の前から後にかけて、という時代設定です。文体は古いので、最初は読みにくさを感じるかもしれませんが、独特のリズムがあり、すぐに慣れて引き込まれます。

日清戦争開戦時の陸軍大臣で第二軍司令官となった大山巌の長女の実話を題材にして、肺結核になったがために、無理やり離縁させられた「浪子」と「武雄」の物語として描かれています。ただしあくまで「小説」であり、大山家の事実とはかなりの相違があったことが、児島襄 『大山巌』 第4巻や、久野明子 『鹿鳴館の貴婦人 大山捨松』 に指摘されています。

ストーリーの展開上から、日清戦争の旅順攻略戦の状況描写も出てきます。それだけでなく、その時代を示す描写が作品の各所に散りばめられています。

例えば、登場人物の一人で、「陸軍その他官省の請負を業とする」「山木」は、新聞の号外を見て、「うう朝鮮か…東学党ますます猖獗…なに清国が出兵したと…。さあ大分おもしろくなって来たぞ。これで我邦も出兵する ― 戦争になる ― さあもうかるぜ」とつぶやきます。

日清戦争を研究する立場からも、本書は読む価値が十分にあると思います。

 

樋口一葉の一連の作品、『たけくらべ』 など
1895(明治28)~96(明治29)年発表

樋口一葉 『たけくらべ』 河出文庫 カバー写真

樋口一葉は、1892(明治25)~96(28)年に作品を次々に発表しました。まさしく日清戦争の直前~戦中~直後の期間です。『不如帰』 と大差のない時期に書かれていますが、一葉の文体は、蘆花とは大きく異なり擬古文で読みにくいため、筆者は河出文庫の現代語訳に頼りました。

一葉の作品中では、日清戦争が取り上げられてはいないようですが、この当時、明治20年代の後半を物語るさまざまな事物が、描写の中に出て来ます。

例えば、代表作の 『たけくらべ』 では、吉原への客の往き帰りで「人力車」が忙しかったり、花魁の上客が「銀行家」や「兜町」の人であったり、金持ちの子供の遊びに「幻燈」があったり。

小説の読み方としては邪道かもしれませんが、社会経済史的な観点から読んでみると、いろいろ発見できると思います。

 

 

 

 

② 日清戦争を描いた小説

次は、日清戦争を主題として描いた、現代の小説です。筆者は下記を読みました。

● 児島襄 『大山巌』
● 陳舜臣 『江は流れず』

 

児島襄 『大山巌』 全4巻
1977~1978 文芸春秋 (文春文庫版 1985)

児島襄 『大山巌』 文春文庫 カバー写真

題名は 『大山巌』 ですが、大山巌その人についての記述量はかなり少なく、むしろ、『小説 日本陸軍史』 というような題名の方がふさわしかったようにも思われます。第1巻が戊辰戦争、第2巻が西南戦争、第3・4巻が日清戦争、となっています。

個人的に大山巌ファンである筆者は、大山の登場場面が余りにも少ないので、実は、読んでいてちょっとがっかりしました。しかし、幕末から義和団事変までの歴史の流れの中で、特に明治の日本陸軍の創設・整備を描いた作品だと思って読めば、それなりに読む価値があると思います。

日清戦争関係では、史実に明らかに反する記述が2カ所ありました。東学乱について袁世凱陰謀説を取っているところと、7月23日朝鮮王宮襲撃事件で国王夫妻が逃げ出したとしているところです。史料の読み間違いかと思います。その点だけはちょっと残念な気がしましたが、歴史小説はなかなか全て史実通りとはいかなくて当然なので、やむを得ないと思います。

 

 

 

陳舜臣 『江は流れず 小説日清戦争』
初出 1977~80年、初刊1981年

陳舜臣 『江は流れず 小説日清戦争』 カバー写真

「小説日清戦争」という副題がついていますが、日清戦争を、主には中国側から、さらに日本側や朝鮮側からの視点も加えて、多角的に描いた作品です。

「事実を淡々と追って、小説的な要素は比較的少ない」「実録風」の作品です。また、史料の扱いもしっかりしているようで、特に台湾の国防委員会の中日韓関係資料が活用されているとのこと。(陳舜臣・稲畑耕一郎対談「自作の周辺」による)

中国側の資料が多く活用されているだけに、通常の日本の研究書には出て来ない視点からの記述も多くあります。特に袁世凱や李鴻章が、各局面で何を考えていたのかなど、日本の研究書ではほとんど取扱われていません。

その点が、この作品の価値の高いところであり、日清戦争を研究する立場からは、ぜひ読むといろいろ参考になる本の一つと思われます。ただ、いくら「実録風」で台湾資料が活用されていても、本書は小説であり、記述がどこまで資料通りか、どこまで虚構か、判別は出来ません。

 

 

 

③ 日清戦争期の記録

小説以外に日清戦争の時代背景がわかる記録として、当時の新聞記事や風刺漫画、同時代に書かれた従軍記、少し後の時代に当時を思い出して書かれた回想記、などがあります。以下はそうした資料の中で筆者が参考にしたものです。

● 橋川文三編 現代日本記録全集6 『日清・日露の戦役』 (回想記や従軍記などの記録を集めた資料集)
● 鈴木孝一編 『ニュースで追う明治日本発掘5』 (当時の新聞記事を集めたもの)
● 清水勲 『ビゴーが見た明治ニッポン』 (当時日本に滞在したフランス人の画家、ビゴーの作品集)
● 酒井忠康・清水勲編 『近代漫画III・日清戦争期の漫画』 (ビゴー等による当時の風刺漫画集)

 

生方敏郎 『明治大正見聞史』 1926
(橋川文三編 現代日本記録全集6 『日清・日露の戦役』 筑摩書房 1970 所収)

橋川文三編 『日清・日露の戦役』 筑摩書房 函写真

橋川文三編の本書、『日清・日露の戦役』 は、当時の時代を語る諸著作からの抜粋集です。

日清戦争については、下記が収録されています。抜粋が手軽に読めるのがメリットです。(もちろん、生方敏郎や徳冨蘇峰なら、抜粋集に頼らず、その著作そのものを手に入れることも容易です。)

● 生方敏郎 『明治大正見聞史』(1926年)より 「日清戦争のころ」
● 徳冨蘇峰 『自伝』(1935年)より 「日清戦争と新聞」
● 南部麒次郎 『或る兵器発明家の一生』(1953年)より 「日清戦争従軍記」
● 国木田独歩 『愛弟通信』(1894‐95年)より抜粋

特に、生方敏郎の文章は、日清戦争期の一般民衆の考え方や、当時の日本の近代化進展状況の実情を知る点で、大変に役に立つ証言になっていると思います。本ウェブサイト中、「2 戦争前の日清朝 - 2a2 日本② 対外硬派」のページで、その内容の一部に触れました。

 

 

 

鈴木孝一編 『ニュースで追う明治日本発掘5 日清戦争・閔妃暗殺・兇悪殺人の時代』
河出書房新社 1995

鈴木孝一編 『ニュースで追う明治日本発掘5』 河出書房新社 カバー写真

当時発行された新聞記事を集めたものです。慶応4年から明治45年までを全9巻に分け、そのうち第5巻が、「日清戦争・閔妃暗殺・兇悪殺人の時代」としてまとめられています。記事の文章は、現代表記・句読点追加などが行われていますので、読みやすさで大きなメリットがあります。

この巻は、主に明治25~29年の期間を扱っていますが、この期間以外の記事も少なくありません。記事の並べ方は日付順ではなく、しかし、テーマごとにシステマティックに分類・整理されているわけでもありません。

書名通り、日清戦争や閔妃殺害に関する記事が多数収録されていますが、いわゆる「三面記事」も少なからず収録されていて、この時代に起こった出来事についても、いろいろ発見できます。

例えば、日清開戦の3か月前に奈良県吉野で起こった7人殺しの記事とか、開戦直後に東京に来ていたアメリカの奇術一座の記事などもあり、読み物としても楽しめるものです。

本書も、本ウェブサイト中、「2 戦争前の日清朝 - 2a2 日本② 対外硬派」のページで、その内容の一部に触れています。

 

 

清水勲 『ビゴーが見た明治ニッポン』
講談社学術文庫 2006

清水勲 『ビゴーが見た明治ニッポン』講談社学術文庫 カバー写真

清水勲には、ジョルジュ・ビゴーを紹介する著作が多数あります。この 『ビゴーが見た明治ニッポン』 は、その中でベストだというわけではなく、筆者がたまたまこれを読んだ、というだけです。同著者には、日清戦争の時代を理解するのに、もっと適切な著作があるかもしれませんが、本書も役立ちます。

ビゴーはフランス人で、1882年21歳で来日、日清戦争開戦の年1894年には日本人女性と結婚、日清戦争には外国紙の特派通信員として従軍、1899年に離婚して帰国しています。この間に日本と日本人を描いた多数のスケッチを描き、また時局風刺雑誌も出版しています。(本書の年表による)

まだ写真が活用され出す前の時代ですから、ビゴーのスケッチは、視覚的に日清戦争前後の時期の日本、とりわけ日本人の生活ぶりを理解できるものとして、非常に貴重だと思います。

 

 

 

 

酒井忠康・清水勲編 『近代漫画III・日清戦争期の漫画』
筑摩書房 1895

『近代漫画III・日清戦争期の漫画』筑摩書房 カバー写真

もうひとつ、視覚的な資料です。こちらは、日清戦争の前後の期間(帝国議会開設~日清戦争~隈板内閣まで)の、政治風刺の漫画集です。ビゴーを中心に、田口米作や小林清親などの作品が集められ、解説が付されています。

当時の人が、諷刺の対象として何を選び、どう風刺したのかを知ることは、その時代の理解を一つ進めることだと思います。

ただし、当時の政治状況の詳細まで承知していない現代の我々が、当時の政治漫画の絵だけを見て、その言わんとするところを理解することはなかなか困難です。やはり本書のように、ひとつひとつの漫画に解説が付けられていると、たいへんに助かります。

本書も、本ウェブサイト中、「2 戦争前の日清朝 -2a2 日本② 対外硬派」のページで、その内容の一部を引用しています。

 

 

 

 

 

次は、日清戦争に関する総合的な研究書のうち、日本の研究者によるものについてです。