c 日清戦争の地図
戦争は、地図なしでは理解しにくい
日清戦争の各戦闘には、良い地図がない
このウェブサイトで、とくに戦争の経過などに関しては、地図も多数使用しています。どういう地図を使っているのか、少し補足しておきます。
歴史書を読むとき、その内容によっては、地図を確認しながらその書を読む方は少なくないのではないか、と思います。確かに、その書の具体的な内容について、地図をながめて地形や距離を知って、はじめてその歴史的な事柄の意味がよりよく理解できることがあると思います。たとえば、A点とB点の間は、平坦なのか、山があるのか、川があるのか。山があるなら険しいのか。移動の容易さはどうか。
ところで、日清戦争については、戦史を読むときに一つの問題があります。日清戦争の各戦闘には、簡単に使える良い地図がない、ということです。
日清戦争の戦史書の地図
日清戦争の戦史として一番読みやすく分かり易かったのは、原田敬一 『日清戦争』です。この本には、戦地となった地域全体をカバーする地図が付いており、各戦場地域の位置関係など、戦争の全体像を理解するのには非常に役立ちます。
しかし、個々の戦闘の詳細な地図は付いていません。各戦闘に関する記述では、当然のことながら同書の本文中にさまざまな地名が出てきますが、詳細地図がないため、その位置関係がよく飲みこめないのです。
そこで、Google地図での確認を試みましたが、各戦闘の記述に出てくる地名は、現代の地名とは異なっていたり、当時の砲台の位置や小集落の地名などは通常の地図には載らない地名であったりすることが多く、現代のGoogle地図ではどの辺りのことなのかがよくわからない、という問題が出てきました。
徳間文庫版・戦史書の地図
徳間文庫版の旧参謀本部編纂 『日本の戦史・日清戦争』には、地図が付された戦闘もあります。しかしその地図は、本文中に出て来る地名のだいたいを、現代のGoogle地図上で特定できるほどには、詳細とはいえません。
下にあるのは実例です。日清戦争の序盤戦、朝鮮での陸戦を決した平壌の戦いの前夜の日本軍の展開状況について、徳間文庫版の戦史は次の地図を載せています。文庫本の1ページ分の大きさです。
この地図のおかげで、概略の位置関係は理解できます。しかし、どこまで平地でどこから山地なのかを知ろうと、この地図からGoogleの航空写真を確認しようとしても、情報が不足しています。特に現代の北朝鮮については、GoogleでもYahooでも地名がほとんど記載されていないため、地形を頼りにするほかなく、比定がきわめて困難です。
公刊戦史の地図
結局、この徳間文庫版の原著である公刊戦史、すなわち参謀本部 『明治二十七八年日清戦史』に付されている地図を見て、はじめてGoogle地図・航空写真との対照が可能になりました。公刊戦史の付図は、陸軍がきっちり測量して等高線も入った詳細図であり、戦史上で重要な地名もそれに書きこまれているからです。
下にあるのが、徳間文庫版の地図の元になっている公刊戦史の地図の一部です。上の徳間文庫版の地図のうち、平壌の市街と北部・北東部だけの部分ですが、これだけでA4サイズに近い大きさがあります。
この地図であれば、等高線なども入っており、Googleの航空写真との突合せが容易にできます。しかし、大きな地図なので、取り扱いがきわめて厄介です。
使いやすくない公刊戦史の地図
公刊戦史は、付図の地図も含めて、インターネット上の国立国会図書館デジタルコレクションで、閲覧することができます。ただし、使いにくいと感じるところもあります。とりわけ地図の場合、デジタル化されたときの解像度の問題から、地名の文字が潰れていることも少なくなく、解読は決して楽ではありません。
地図の現物そのものを閲覧できれば、ルーペは必要かもしれませんが、ちゃんと読み取れます。筆者の居住地の公立図書館は規模が大きく、この公刊戦史も、付図の地図も含めて閲覧できたので助かりました。しかし、大きな図書館まで行く時間の余裕のない方には、日清戦争の各戦闘には、手軽に活用できる良い地図はないのが現状である、といわざるをえないように思います。
このウェブ・サイトに載せた地図 = 「Google Map等+公刊戦史情報」
GoogleやYahooの地図・航空写真を利用して作った地図
筆者は、日清戦争の戦史を読む際、結局、公刊戦史の付図の地図を参照して、そこにある情報を、GoogleやYahooの航空写真上に移しかえる、という作業を行いました。航空写真を使ったのは、地図とは異なり、山地・平地の区別がつきやすいからです。この作業を行ってはじめて、個々の戦闘の経過が良く理解できるようになりました。
実際にそういう作業を行ったので、このウェブ・サイトには、そのさいに作ってみた地図も載せました。上の平壌の戦いの例では、次の地図を作っています。
もちろん、現代のGoogle航空写真と、日清戦争当時の状況では、例えば、道路の位置や住宅地の広がりなど、相当の相違があることは間違いないでしょう。地形も、少しぐらいは変わってしまっているかもしれません。その点は注意が必要です。
また、筆者が個人で手作業によって作成した地図ですので、地名や位置の比定について、どこかで間違いをおかしている可能性は十分にあります。もしも間違いに気がつかれましたら、ぜひ御指摘ください。
次からは、「1 帝国主義の時代」に入ります。