2 戦争前の日清朝
この章の内容構成
日清戦争そのものの展開に入る前に、まず、日清戦争の当事国であった日本と清国、それに日清戦争の目的であった朝鮮(日清戦争期までは、朝鮮が「国号」であったため、朝鮮と書いています)の3ヵ国について、当時の政治・経済などの状況を確認したいと思います。内容は、以下の通りです。
2a 日清戦争前の日本の状況
2a1 日本① 内閣と議会
日本が1894年に日清戦争を始めるに至った原因の一部として、もちろん日本国内の事情が存在していました。とりわけ、90年に始まったばかりの帝国議会での、藩閥政府と議会との対立という事情が大きく影響していたように思われます。この点をまず確認します。
2a2 日本② 対外硬派
政府と議会とが激しく対立する状況に行きついた背景として、特に、反政府派が「対外硬派」として結集した、という事情がありました。「対外硬派」とは、具体的にはどのような勢力であったのかを確認したいと思います。
2a3 日本③ 谷干城の意見
対外硬派といっても、中にはいろいろな意見があり、日本の独立確保にはこだわるものの、対外武力進出は考えず、日清開戦には否定的な谷干城のような人もいたことを確認したいと思います。
2a4 日本④ 経済の状況
日清戦争の開戦至るまでに、日本はどの程度の経済発展を成し遂げていたのか、また開戦には日本側の経済的な事情があったのか無かったのか、確認したいと思います。
2b 日清戦争前の清国の状況
日本と清国が朝鮮を争った、という事情の背景には、単に朝鮮が地理的に両国間に存在していたという地政学的な理由だけでなく、清国と朝鮮が旧来の華夷秩序体制を維持しようとしていたことに、開国後の日本が挑戦しようとした、という事情があったようです。この点を確認します。
2c 日清戦争前の朝鮮の状況
2c1 朝鮮① 秀吉の朝鮮侵攻
この時代の朝鮮の状況を理解するためには、もちろん、日本との関係は重要な要素となります。ところで、16世紀末の豊臣秀吉の朝鮮侵攻は、それから300年後のこの当時の朝鮮にも、対日感情面で少なからぬ影響を与えていたようです。
そこで、当時の日朝双方の心理面を理解するため、本題に入る前に、秀吉の朝鮮侵攻は300年後の朝鮮にはどういう影響を与えていたか、また300年後の日本側はどう認識していたのか、を確認します。
2c2 朝鮮② 開国から甲申事変まで
なぜ朝鮮が争われることになったのか、まずは朝鮮を開国させることになった1875年の江華島事件から、日清両国の対立が明確化することになった84年の甲申事変までの経緯を確認します。
2c3 朝鮮③ 日朝貿易と反日感情
1884年の甲申事変から94年の日清戦争までは約10年間、この間には、朝鮮側の反日感情を増幅させた防穀令事件なども発生しました。背景には、日朝貿易による経済影響だけでなく、日本商人の問題行動もありました。この点を確認します。
2c4 朝鮮④ 東学乱まで
日清戦争勃発の直接の引き金は、朝鮮での東学乱の発生でしたが、乱の原因には、積年の問題に対する、朝鮮政府の長年にわたる効果的な対策の欠如がありました。この点を確認します。
2c5 朝鮮⑤ 経済の状況
当時の朝鮮の経済的な発展度は、どの程度であったのか、この点を確認します。日清戦争開戦となって、日本軍が朝鮮国内での補給などで直面した課題には、朝鮮の経済的な発展度が原因となっていたものもありました。
2c6 朝鮮⑥ バード・塩川の観察
当時の朝鮮の社会経済的な状況が、朝鮮に旅行あるいは居住した外国人によって記録されています。その1人はイギリス人のイザベラ・バード、もう一人は日本人の塩川一太郎でした。この二人の観察は、朝鮮の状況を具体的に理解するのに非常に役立ちます。
まずは、日本の状況から。