はじめに

 

 

このサイトのテーマと目的

サイトのテーマは日清戦争

このウェブサイトは、近代の日本が最初に行った対外戦争である「日清戦争」がテーマです。

日清戦争とはどういう戦争だったのか、事実を確認し、現代の我々世代が、歴史から何かを学ぶことを課題としています。歴史から学ぶにあたっては、カイゼン視点から考察するように心がけています。

一次資料を自ら研究したものではなく、公刊戦史や研究書などに基づいて、当ウェブ・サイト制作者(以下「筆者」)が再整理を行っただけのものです。いわば一般的な大学生の卒業論文程度のものに過ぎません。

カイゼン視点から歴史を見る

その程度のレベルのものを、あえてインターネットのウェブサイトとして出す理由は、日清戦争を同様にカイゼン視点から評価・記述している研究書はほぼ存在していない、と思われるためです。「カイゼン」という、通常なら企業活動の中でしか使われない用語をキーワードとして歴史をみる、という取組ですから、他にはあまり例がないのも当然かもしれません。

カイゼン視点から見てみた結果として、従来の研究書にはあまり指摘されていないことや、日清戦争についての日本の常識には欠けていることが、いろいろある、と気づきました。

日清戦争は、大勝利だったが、目的達成は失敗

課題とその解決、という見方に立つカイゼン視点から見て、日清戦争について分かったことは、以下のようになります。

● 日本がこの戦争を開始した目的は、そもそも明確ではなかったし、途中ですり替わっていた。
● 講和時の三国干渉の原因は、日本が当時の国際常識に反する法外すぎる領土割譲要求を行ったから。
● 日清戦争の影響は、対内的にも対外的にも日露戦争より大、東アジア情勢はむしろ不安定化した。
● 日本は、実は、この戦争の最大目的であった朝鮮の保護国化には失敗していた。

一言で言えば、表面的には大勝利の戦争であったものの、その本質的な目的の達成という観点からは、むしろ失敗した戦争であった、と評価するのが適切であるように思われるのです。

具体的にどういうことに気が付いたかの主要なポイントは、次のページ、「なぜ日清戦争か」にまとめましたので、ぜひそちらを読んで下さい。

このサイトのもう一つの特徴は、日清戦争の地図

このウェブサイトが、日清戦争についてのいろいろな研究書や他のサイトと異なっている、もう一つの特徴は、日清戦争の経過について、非常に多くの地図を載せている点です。

歴史、とくに戦争は、地図がないと理解しにくいことが、よくあります。なぜそういう作戦が行われ、なぜそういう経過になったのか、地図を見ると、地理的関係が一目瞭然、非常によく分かります。

本ウェブサイトでは、事実の分かりやすい確認のため、多数の地図を作成して掲載しています。

 

カイゼン視点から歴史を見る、とは?

カイゼン視点から日清戦争を見る作業は、下記の手順となります。

① まずは事実(史実)を確認
② 課題は何であったのかの確認・検討
③ その課題についての最適な対策の検討

① まずは事実の確認

まずは、事実の確認作業が最初です。世の中、とくにインターネット上には、史実とは異なる勝手な解釈や憶測が加えられた記述や、場合によっては史料に反する明らかな虚偽の言説も少なくありません。史料や典拠を明示している信頼できる研究書によって、事実はどうであったのかを確認します。

② 課題は何で合ったのかの確認・検討

次に、確認した事実について、ある決定やその決定に基づく行動は、いかなる状況の中で、どのような課題の解決のために行われたのかを確認・検討します。

その決定や行動が十分に成功したとは言えない場合、そもそも、その状況の中での課題認識が不適切であったのか、それとも課題認識としては適切であったのに、やり方が悪くて成功が得られなかったのか、反省してその後のカイゼンに活かせる点は何かあったか、について検討します。

③ その課題についての最適な方策の検討

とくに、③ 失敗したり、一応成功はしたものの達成に至る効率が悪かったことがらについては、当時のその状況で、実際にはどういう方策が適切であったと思われるか、を検討します。こうした検討を行うことで、歴史からより的確に学ぶことができる、と思います。

カイゼン視点から歴史を見ることの意味については、「カイゼン視点とは」のページで詳しく書きましたので、ぜひそちらをお読みください。

 

このサイトでの引用・要約の原則

このウェブサイトの内容は、さまざまな史料・研究書等に依拠していますので、このウェブサイト全体を通じて、引用や要約については、下記を原則としました。

① 出典の明記

史料・研究書などからの引用・要約にあたっては、必ず出典の著者名・書名を明確にしました。孫引きの場合は、孫引きであると明記しています。ただし、どのページからか、までは記載しておりません。

② 要約する場合の原則

生の文章をそのまま引用した個所よりも、出来るだけ簡潔にするため、何らかの短縮を加えた要約として引いている個所の方が、圧倒的に多数です。要約にあたっては、できるだけ原文を尊重しましたが、簡潔にするため同じ意味の他の言葉に置き換えた個所もあります。また、複数の研究書の内容を総合して要約している個所もありますが、その場合もそれを明記しました。もしも適切な要約を行えていないとすれば、責任は全面的に筆者にあります。

③ 日清戦争当時の文書からの引用・要約の表記

日清戦争当時の文書の表記は、正字・旧かなづかい・カタカナ書きであり、そのままでは非常に読みにくいものです。そこで引用・要約する場合、大部分は、現代字またはかな書き・新かなづかい・ひらがな書き、に改め、さらに句読点も適宜追加しました。孫引きの場合もそうしています。ただし、短い引用については、当時の表記のままとした個所もあります。

④ 日清戦争の地図

とくに戦争の経過などに関しては、地図を多数使用しています。その大部分は、筆者が、GoogleまたはYahooの地図または航空写真に、公刊戦史や研究書等に記載されている情報を追記したものです。現代の地図情報に当時の情報を加えていますので、当時のままを示した地図ではありませんが、地形や位置関係などを理解するには分かりやすいと思います。このトップページのタイトル中にある地図も、その一つです。

地図については、「本サイトの日清戦争の地図」のページで、詳しく説明していますので、そちらをお読みください。

⑤ 日清戦争の写真

同じく、とくに戦争の経過に関して、当時の写真等も使用しています。特に断りをしていない限り、国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されている、『日清戦争写真帳』所収のものです。このウェブサイトのタイトルの右にある写真も、その例です。

 

このウェブサイトの構成

本ウェブサイトについて

なぜ「日清戦争」なのか、それを「カイゼン視点とは」どういうことなのか、「本サイトの日清戦争の地図」はどのように作成しているかについては、別のページで、もっと詳しく説明しています。

まず、こちらからご覧ください。

 

1 帝国主義の時代

日清戦争は、19世紀末、世界がいわゆる「帝国主義」の時代にあったときに行われた戦争でした。ではその時代に、列強はどの程度まで帝国主義的な拡張を行っていたのか、植民地化・保護国化するのにどういう行動を行っていたのか、特にアジアではどうであったのか、こうした点をまず具体的に整理してみました。

こちらをご覧ください。

 

2 日清戦争前の日清朝3国の状況

戦争の当事国、すなわち、日本と、対戦相手の清国と、そして戦争の争点であり戦場にもなった朝鮮について、戦争開始前の政治や経済の状況などを整理しました。

こちらをご覧ください。

 

3 日清戦争へ向けた日本の対清戦争準備

戦争は準備がなければ開始できません。日清戦争の開戦に至るまでに行ってきた日本の軍備の状況、開戦を決めた当時の日本の指導者たち、そして具体的に開戦に至るまでの経過について整理しました。

こちらをご覧ください。

 

4 日清戦争の経過 (日清戦史)

1894年7月の豊島沖海戦・成歓の戦い・平壌の戦い・清国領土内の戦い、そして1895年4月の講和、さらには引き続いて行われた台湾征服戦争まで、日清戦争の戦史を時系列に沿って確認しています。特に、全体の戦略はどうであったのか、どう変化したのか、また、個々の戦闘はいかに戦われたのか、どういう課題が出現し、どこまでカイゼンされたのか、などに焦点をあてました。

こちらをご覧ください。

 

5 日清戦争の下関講和と三国干渉

日本は、軍事的には清国を圧倒している状態で、講和に至ります。しかし、その結果は三国干渉を引き起こし、遼東半島を還付することになりました。そもそも講和に向けて日本が要求した条件は妥当であったのか、三国干渉はどの程度の軍事リスクであったのか、などについて確認しています。

こちらをご覧ください。

 

6 日清戦争 戦中戦後の朝鮮改革と挫折

日清戦争は、直接には日本対清国の軍事衝突でしたが、もともと朝鮮が争点でした。日清戦争の戦中から戦後にかけて、争点であった朝鮮はどうなったのでしょうか。日本が朝鮮に対して持っていた意図は実現されることになったのか、そうではなかったのか、朝鮮国内の状況を確認しています。

こちらをご覧ください。

 

7 日清戦争の結果

日清戦争の結果として、どういう影響が生じたのか、特に、その後の日本の進路に影響を与えた点について、確認しています。

こちらをご覧ください。

 

8 日清戦争の参考図書・資料

このウェブサイトを制作するにあたって、引用・要約を行った研究書・資料、あるいは当時の時代や人物・事物を理解するために何らかの参考にした図書等について、整理しました。もしもまだお読みになっていない本があれば、読書案内にもなることを意図して、それぞれの内容も紹介しています。

こちらをご覧ください。

 

 

本ウェブサイトの改訂履歴など

本ウェブサイトは、2014年1月に開設しました。たまたまですが、日清戦争開戦120年の年でした。

その後に読んだ本の内容を反映するよう、あるいはより分かりやすくするよう、追記等を適宜行ってきています。

2023年には、サイトのSSL対応(https化)およびモバイルデバイス対応を行い、見た目を一新するとともに、あわせて内容の一部修正追記を行っています。今後も、適宜追記・修正を行っていきます。

コメント、ご指摘があれば

本ウェブサイトの内容について、ご感想やコメント、あるいはご指摘などがありましたら、筆者にお知らせいただけますと、ありがたく存じます。

Eメールのあて先は下です。(スパムメール対策の表示をしています。下のアドレスをコピー&貼付けし、★を@に修正の上、メールをお送り下さい。)

→ kaizen★sinojapanesewar1894.com

カイゼン視点から見る第1次世界大戦

同じくカイゼン視点から、第1次世界大戦を整理したウェブサイトも作っています。

第1次世界大戦も、世界史的には非常に重要な戦争でありながら、日本ではあまり関心を持たれていません。しかし、当時の日本が、この大戦からの教訓を十分に学ばなかったことが、昭和前期の日本の大失敗・大敗戦という結果を招いたように思われます。

よろしければ、こちらもご覧ください。

 

地図で知る 織田信秀・信長の尾張統一 インターネット歴史館

もうひとつ、全く分野違いですが、織田信秀・信長父子が、いかにして尾張国の統一を成し遂げたのか、その過程を、可能な限り史実に基づいて理解することを目的としたウェブサイトも作っています。

よろしければ、こちらもご覧ください。

 

 

 

 

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