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このウェブ・サイトは、「帝国主義の時代」から記述を始めました。以下は、日清戦争が発生した19世紀後半の帝国主義と植民地化の状況に関する参考図書です。 ベトナムとエジプトに関するものもここに挙げます。アヘン戦争とアロー戦争に関するものは次のページに回しました。
レーニン 『帝国主義論』
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ベトナム戦争では、1973年に米軍がベトナムから撤退し、また1975年にサイゴンが陥落し、さらに翌年には南北ベトナムが統一されて完全終結します。 本書は、そのベトナム戦争終結前に出版された本ですので、現代史については役立ちません。 しかし、19世紀後半に、ベトナムがフランスに植民地化されていく過程については、内容に問題はなかろうと考えて、本書を活用しました。 今は、もっと良い本があるのかもしれません。 本書は、本ウェブサイト中、「帝国主義の時代−フランスによるベトナムの植民地化」のページで、引用等を行っています。 |
エジプトについては、本書を参考にしました。本ウェブサイトの「帝国主義の時代−イギリスによるエジプトの保護国化」のページで、引用等を行っています。
エジプト近代史の出発点は、エジプトがオスマン帝国からほぼ実質的に独立した王朝となるとことから始まるようです。それに続いて、西欧との距離も近く影響も受けやすいエジプトは、日本より半世紀も早い時点から近代化に取り組みはじめます。ところが、スエズ運河の建設から財政破綻して、イギリスの実質的保護国となっていきます。
このエジプト保護国化の過程は、現代の我々はあまり知識を持っていない事項ですが、同時代人であった明治政府の指導者たちには、よく理解されていたようです。
19世紀後半の日本の指導者たちは、日本が列強によって植民地化あるいは半植民地化されるリスクを、実感していたものと思われます。彼らがそれを、単に理論的なリスクではなく現実的なリスクとして感じていた原因は、エジプトやベトナムという実例が、同時代に現に存在していたためであろうと思われます。
エジプトやベトナムは、こうした観点から、もっと研究されてもよいように思います。
次は、清国が巻きこまれ、敗れた、そして東アジアへの帝国主義の到来を明らかにした、アヘン戦争とアロー戦争に関する参考図書です。